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聖地 バラナシ [インド 観光名所]

インド人の生活の全てを飲み込みながら、ゆっくりと雄大に流れていくガンジス川。
そのほとりにあるこの町は、ヒンドゥー教の聖地バラナシ。



人、多すぎ!!!!!

サイクルリキシャー(自転車人力車)に乗っているのだが、かれこれ10分ほど、全く動かない。
後ろでは、デブの白人が
「ママーーーー!ママーーーー!!!」
と、泣き叫んでいる。
極度のマザコンなわけではなく、ラリっているらしい。

この町は、聖地だけあって、宗教的な儀式がよく行われています。
そして、昔から、その儀式で麻薬を使っていたということで、マリファナは、日本でのヘルシア緑茶と同じくらい一般的に流通しているのです。

街を歩いていれば、30分に1回くらい、「ハッパ、アルヨ」とか声をかけてくれるし、メインストリートのど真ん中の交差点で「バングーラッシー」(マリファナラッシー)なんて、プリティーな飲み物も売っています。ちなみに、ハッパだけじゃなくて、薬もアリアリ。
一応、法律では禁止されてるんですけどねえ。。。

とかなんとか言ってる間に、20分以上停止していることに気付き、いい加減歩くことにしました。
今日は、せっかくガンジス川の近くに来たのだから、「ホテルはリバーサイドであろう。静かに流れるガンジスをながめならが、異国の夜を過ごすのだ。」と勝手に決めており、街のど真ん中を突っ切って川の畔に向かう私。

街の真ん中と、川の間は住宅街。
インドは町中以外、街灯というものはほとんど無く、恐ろしく暗い。人気なし。無茶苦茶怖い。
変なインド人がいたので、川はどっちか聞いてみたら、案内してくれるとのこと。とりあえず、ついて行ってみると、明らかに細い路地に。。。おいおい。。しかし、地球の歩き方の地図にもこの辺りの道は全く載っていない。っていうか、迷路だよ、コレ。

いつでもダッシュ出来るように身構えながら、インド人の5メートル後ろをついて行く私。
5分後、真っ暗な暗闇が現れる。ガンジス!

「ほら、これがおまえが言ってたホテルだよ。」
こいつは嘘をついていなかったので、チップを50ルピー渡し、ホテルにチェックイン。
90ルピー(250円くらい)。安っ!

部屋。

独房ではありません。。。

部屋を見た瞬間、思いっきり帰りたくなったのですが、今更真っ暗な迷路を彷徨い歩く気力もありません。
もう、あきらめて荷物を降ろす私。
とりあえず、ガンジスの流れを、、と外に眼を向けるも、よく考えたら街灯も全くないわけで、暗黒の闇が続くばかり。

なんのために、こんなとこまできたのだろう。。。
(インド旅行中、自らのテンションがた落ちさせる、魔法の言葉)


ガンジスで、大晦日 [インド 観光名所]

独房のような宿で夜を明かし、訪れた朝。今日は、12月31日。
白く濁ったガンジスの向こうがうっすらと赤くなっている。

日の出。

静かな川。その上を進む小舟。白く霞がかかった空気。遠くにかすかに見える何もない対岸。
そして、昇る太陽。明けてゆく空に消えてゆく月。

静かで、美しいこの光景を見ながら考えついた言葉。

ガンジスで、元日

おいしすぎる。。
明日は、この川で身を清めようと心に決めたのである。

そうとなったら、こんな独房に用はない。(そうでなくても、用はないけど)
さっさと引き払い、地球の歩き方で、日本人が多そうな宿を探す。
このクソ寒いなか、わざわざ川にはいるのだから、写真を撮らねば意味がない。でも、インド人にカメラを渡すのは、林家ペーパーからカメラを取り上げるくらい危険な行為である。
一緒に行く日本人を見つけなくては。

と、いうわけで、歩き方お勧めのホテルに移動。
思った通り、フロント近くのたまり場には日本人が。そして、オーナーは日本語べらべら。
ちなみに、このオーナー、何年か名古屋でマッサージ屋をやっていたそうで、ビル6件を持つ大金持ち。常に腰に拳銃を差しており、どんなに笑っても眼が笑っていない。そして、従業員を奴隷のように扱う。(まあ、カースト的に奴隷なんでしょうが)

そのオーナー曰く、「今日は、ニューイヤーパーティーやるから」

夜。このビルの屋上には、カレーとよく分からんスペイン料理と肉じゃが。
スペイン人の親子と、日本人数名(みんな一人旅)が泊まっているから。

料理自体は旨くも不味くもないのだが、寒い。なんで、このクソ寒いのに屋上なんだよ。。。と思いながらも夜は更けていき、日本から3時間遅れて2005年がやってくる。

バババババババババン

辺りに爆音が響き渡る。
「反政府ゲリラか!?」 とおもったら、下で、とてつもない量の爆竹が燃やされている。
あちこちで、打ち上げ花火が。あ、こっちも奴隷たちが花火上げてるし。
なにげに、盛大に祝われているNew Yearである。

って、おい、おっさん。なにしとんねん!

どさくさに紛れて、実弾を虚空に打ち上げるオーナー。
あんた、かなり酔っぱらってるだろ。
銃刀法という法律がある国から来た我々から見ると、ものちゅごい危ないことしてるよ、あんた。

そんなこんなで、爆竹と銃声で開始を告げられた2005年。
今年もろくでもない年になりそうです。


ガンジスで元日 [インド 観光名所]

 

本年度の私からの年賀状です。今年もよろしくお願いします。

 と、いうわけで、この写真を撮るために、日本人が居て、ホットシャワーが出て、ガンジス川から近いホテルに泊まったわけです。
 また、腰に巻いている布は、インドのその辺で買った物。

ガンジス川の近くのホテル 400ルピー
インド人が巻いている、腰巻き 30ルピー
靴屋で売っていた、一番安物のビーサン 50ルピー
ガンジス川に流されたカルマ priceless

 今でこそ、こんな、マスターカードごっこをやっていられますが、浸かっているこの瞬間は洒落になっていません。

寒いのだ。

 この辺の1月の気候は、日本で言うと晩秋くらい。朝晩はフリースを来ていても肌寒いくらいの気候です。
 とうぜん、こんな季節に川に入るバカはインド人くらい。
 日本人はもちろん、欧米人も誰一人水に入っている奴なんざいません。

 とはいえ、入ってしまったものは仕方がない。
 インド人の歓声を受けながら、さらに歩を進めてみました。


とりあえず、肩まで。


そして、やけくそ。

 ガンジスの川縁は、階段状になっており、川の中にもその階段は続きます。
 最初の3段くらいは普通のコンクリートなのですが、4段目から、むにゃ。。。っと。

 藻やヘドロならまだいいのですが、ガンジスは全てを飲み込む川です。

 すぐ上流には、火葬場があります。遺骨をガンジスに流せば、次に生まれ変わったとき、もっと上のカースト(階級)になれるということになっているので、全インドから死体が集まってくるのです。
 ちゃんと焼いてあればいいのですが、子供や妊婦はそのまま流すというしきたりになっているので。。。

 と、いうわけで、インドの奥深さに足の裏ちょこっとだけ触れてきました。ヤダヤダ。

 ちなみに、インド人は平気な顔で、洗濯を行い、身体を洗い、歯を磨いています。ヤダヤダ。


聖地バラナシ2 ~死んだ物にすること。生きる者がすること。 [インド 観光名所]

ガンジスで大晦日」の日。ガンジス川 川縁のヒンドゥー教の聖地 バラナシでの話。

ガンジス川の川縁には、たくさんの「ガート」と呼ばれる、お祈りの場兼、洗濯場兼、屋台兼、くつろぎの場があります。

写真手前のように、ただ階段状になっているところもあり、奥のように、桟橋状になっているところもあり、大きさも大小様々。
ここで人々は、思い思いに、沐浴したり、洗濯したり、歯を磨いたりしているのです。



そんなガートのひとつ、「マルカルニカー・ガート」。ここには、大きな火葬場があります。
近づいてみると、綺麗な布にくるまれた、「元人間だったモノ」が置いてあります。(写真自粛)

「元人間だったモノ」の回りは神聖な薪が積まれ、少し離れて、家族・友人たちが、悲しそうに、清々したように囲んでいます。

ヒンドゥー教という宗教は、「人という者が生きているのは、修行の場であり、生きている間にしたことによって、だんだんと階層(カースト)が上がっていく。そして、最後にはブラフマン(宇宙生命体)と一体になる事が出来る。それを目指して、人という者は生きていくのだ。」というものです。

そして、「死んだ後、身体をガンジス川に流す」ということにより、「次の人生はもっと上のカーストに生まれ変わることが出来る」ということが信じられているため、このガートには全インド中から死体が送られてきて、24時間体制で火葬が行われているわけです。
あるモノは車で、あるモノは担架で、あるモノは電車で。
(電車やバスの貨物室や屋根の上にのっけることは日常茶飯事。)

こうやって、ひとつの修行を終了し、新たな修行の場へと旅立っていくモノを送り出す家族や友人は、最初は一時の別れを惜しんで涙を流しますが、その後、新たな門出を祝して、清々としたどことなく嬉しそうな顔をしています。

そうこうしているうちに、モノの回りに薪が積まれ、シヴァ神から授かった聖なる炎が、薪にともされます。
じりじりと、焦げながら燃えていくモノ。
布が焼け落ちて、だんだん中が出てきます。
ブスブスと煙を出しながら、だんだんと、黒く、小さくなっていきます。

火が収まったあと、残った物は、集めて袋に入れられ、おっさんの手によって、ぽーんとガンジスの川の中にほおりこまれます。
もう、完全に、「物」です。
人間は、シヴァ神の炎に焼かれる事により、カルマをそぎ落とし、ピュアな「物」となるのです。

ちなみに、赤子や妊娠した女性の死体は、シヴァ神の炎なしでもピュアな「物」であるため、そのまま石にくくりつけられて沈められるそうです。

「死」が「生」の終着点である我々にとって、「死」が「生」のひとつのチェックポイントでしかない彼らの思考は、相容れない物であり、ある意味うらやましいような気がします。
なぜなら、希望を持って、死を迎えられるから。

さて、なんで、もりぞおさんが、こんなうんちくを知っているかというと、ここを訪れたときに、わらわらと寄ってきて、勝手に1時間ぐらい説明をしたガキの話を覚えていたからです。

まだ7歳くらいのガキなのに、最初はたどたどしい日本語で、途中からNOVA Level4のもりぞおさんよりも流暢な英語で、延々と説明をしてくれます。

両親の多大な投資を受け、早期英才教育を受けた日本のガキでも、しょうもない英語の歌を歌えるだけなのに、食う物も食えずにやせ細ったインドのガキは、第一外国語はもちろん、第二外国語までマスターしつつあるのです。人が生きるためにする事は、これほどまでに力強い。

非常に軽く扱われる「死」と、恐るべき「生」のための力。
そんなコントラストが素敵な、ガンジスの河辺でした。

ちなみに、このガイドに感心したもりぞおさんは100ルピー(300円)くらいチップをやろうと思ったのですが、向こうから「私はシヴァ神に仕える僧侶だ。おまえの幸運を祈ってあそこで聖なる薪を燃やしてやるから、薪代300ルピー払え」などといいくさるので、10ルピー(30円)やって帰りました。

帰る道すがら、後ろから追っかけてきて、罵声を浴びせてきます。

「バーカ、バーカ、ニホンジン!!ビンボーーー!!!


おめーら、日本語、勉強しすぎ。。。


マザー・テレサ ハウス [インド 観光名所]

もりぞおさん認定、「世界で一番汚い一千万都市」カルカッタ
(現在「コルカタ」に地名が変更されていますが、カルカッタの方が通りがいいんで、こっちをつかいます。)

この町は、1940年ごろ、インド独立戦争の難民が山のように押し寄せたため、あっという間に都市としてのキャパシティをオーバーし、都市全体の80%くらいが我々の感覚でいうところの「スラム」と化している、すてきな都市です。

ベースが土の道が、中途半端にアスファルトで舗装されているため、風が吹くたびに砂埃が舞い上がる。
むちゃくちゃな量の車とオート三輪と原ちゃりが道を埋め尽くして動かなくなっているため、ものすごい量の排気ガスが充満している
インド産の車も、オート三輪も、原チャリも、京都議定書の内容を300%くらい無視したエンジンを積んでいるため排気ガスが真っ白。

そんなこんなで、町の中は24時間常に霧がかかったように、うっすらと曇っています。

そこに、週末の渋谷センター街級の人口密度。
その一人一人が異様に顔の濃いインド人
しかも、男性率90%
さらに、みちぱたで生活している人多数。
ついでに、こいつらが15分に1回の割合で、ジャパンマネーをかすめ取ろうとすり寄ってくる。

まさに、うざざ、汚さ、居心地の悪さのワンダーランド。
「地球の歩き方」には、カルカッタの町に出て2時間で体調を崩し、そのままホテルの部屋だけで1週間を過ごして帰国した人の事例が書いてあります。

そんな、掃きだめのような町を愛してやまないマゾヒスト 聖女が、マザー・テレサです。

慈愛の精神で、この汚い町に住む誰からも愛されれず死んでいく人たちに手を差し伸べ、ひとときの安息の日々を与えていった人。

この人が作り上げであり、今なおその志を継いでボランティアを行う人の活動拠点となっているのが、この、マザー・ハウスです。

カルカッタの町から自転車で10分くらい離れたところにあるこの家では、親のない子供や、死にゆく老人たちを、全世界から集まったボランティアの人が、介護しているのです。

そして、マザーハウスの真ん中。晩年のマザーテレサが、毎日欠かさずお祈りをしていた場所には、等身大マザーテレサフィギュアがたたずんでいます。

キリスト教は、アメリカのこ汚い世論操作のだしに使われたり、しょうもない国際紛争の火種となったりしているイメージがありますが、こういった、すてきな方向への推進力となっている姿を見ると救われた気がします。

ちなみに、ここまでの文書にあった、マザーテレサ情報は、バンコクのラーメン屋で読んだ、「よい子の世界の偉人漫画 マザーテレサ」から学んだ物です。
なんで、バンコクのラーメン屋にこんな物があったのか?という事を考えると、「イエス様のおぼしめし」としか考えられませんね。(タイは仏教国ですが)

なんて、綺麗な話をしたので、バランスを取るために、ゴミのように汚い街のゴミ清掃車の写真を載っけておきます。


ブッダガヤーとスジャータの村 [インド 観光名所]

以前、ヒンドゥー教の聖地、バラナシのお話をしましたが、今度は、仏教の聖地、仏陀が悟りを開いた(正確に言うと、「ゴータマ・シルダッタというおっさんが悟りを開いて仏陀になった)場所、ブッダガヤーの話です。

この小さな町は、ある意味仏教の総本山であり、たくさんの国の人が寺を造っています。
下の、日本寺以外にも、タイ寺、チベット寺。。。
日本寺では、日本人の坊さんが日々修行に励んでいます。ちなみに、毎日5時には寺の鐘が鳴ります。ごーん。

 

そして、この町の真ん中には、仏陀が悟りを開いた菩提樹があります。

元はこの木に触ったり出来たのですが、我が日本の恥、麻原彰晃というアホが、この木に登って遊んでいるところをビデオに撮って、信者に売りさばいてたりしたため、周りに柵が張られ、中に入れなくなってしまいました。

また、この木がある敷地内には、お祈りをするところがあります。
菩提樹の周りにマットが敷いてあり、そこでたくさんの人がお祈りをしているのです。

ん?この動きは、もしや・・・ヒンドゥースクワット

仏教のお祈りの動きがヒンドゥースクワットというのはこれいかに。。
まあ、たぶん、アントニオ猪木あたりの一杯食わせ物が、インドに行った時に見たこのお祈りの動きが、運動になりそうだったために、「インドだからヒンドゥー教だろ」とかいういい加減な形で名付けたのだろうと考えらられます。

さらに、この町からバイクで10分くらい行ったところに、スジャータの町があります。
ゴータマ・シルダッタが修行で餓死しそうになった時に、羊の乳のスープを与えて命を救った少女、彼女の名前がスジャータ。そして、彼女が住んでいた町が、このスジャータの町です。
ドラクエに出てくる町のように、単純なネーミングです。

ちなみに、「コーヒーにスジャータ」も、このスジャータから取っています。たぶん。

ここは、貧乏ながらのどかな町。ちょっと町を外れると、広場と畑が広がります。

遠くに見えるのは、ゴータマ・シルダッタが修行していた山。
汚れたインドにも、こんな素敵なところがあるのかと、しばし、癒されたもりぞおさんでした。
まあ、この感傷は、すぐにぶちこわされるのですが。

続く。


ブッダガヤーの涙 [インド 観光名所]

先週の続きです。ブッダガヤからスジャータの村に行くときのお話ね。

ブッダガヤーからスジャータの村へ行く時、ここにはバスなんて通っていないので、オート三輪なんかを探すことにしました。

町で一番にぎやかなところに行って、みちぱたでだらけているインド人に
「スジャータの村に行きたいんだけど。。」
などと、声をかけてみます。

すると、変なおやぢが声をかけてきました。

「スジャータの村か。オート三輪じゃ厳しいぞ。俺のバイクで行かないか?」
「んー、いくら?」
いや、只でいい。ただ、俺はこの町で土産物屋をやってるから、帰りにそこに寄ってくれ。」

最初からねらいを見せてくれてるし、別に土産くらいなら買ってもいいし、後でガソリン代とかいっていくらか請求されるだろうけど、まあ、いいか。と、思って、乗り込む事にしました。

「Are you Japanese?」(日本人?)
「Yes.」(そだよ)
「私、日本語ちょっとしゃべれます。」

この人の日本語能力は、ちょっとというレベルではなく、約30分のスジャータの村への道のり、ずっとしゃべっていたのですが、基本的に話が通じないことは全くありませんでした。

「どうしてそんなに日本語しゃべれるの?」
「この村に、日本に留学していた人がいます。この村で、日本が好きな人はみんな、その人に日本語習っています。」

「インド人は、貧乏ですが、がんばり屋です。 いろいろなことを勉強しています。
 でも、どんなに勉強しても、いい仕事が出来ないように社会の仕組みが出来ています。カースト制度によって、生まれた時に出来る仕事が決まっています。私は、仏教徒ですが、この仕組みの中にいます」

「あなた、インド人にいろいろ嘘つかれたと思います。
 でも、ブッダガヤーの人は、みんな、優しい。
 カルカッタとかデリーとかパキスタンとかから来た人は、みんな嘘つく。
 ブッダガヤーはいいところです。私は大好きです。」

バイクの運転もとても丁寧で、大きなへこみはきちんとさけるし、小さなギャップを超える時はスピードを下げる。
私もバイクに乗っていたのでよくわかるのですが、本当に丁寧な運転です。

そんな感じで、スジャータの村から帰る頃には、
「この人は、インド人にしてはめずらしく、いい奴なのではないか?」
と思い始めていました。

もりぞおさんは、海外、特に貧乏な国では出来る限り金は使うようにしています。
また、いいサービスをしてくれた人には、チップも弾みまくります。

ただ、インドでは、あらゆる人が嘘をつきまくるので、チップをあげる機会が全くなし。
最終的には、チップをあげるレベルを「最初に約束した以上の金を要求せず、言われたことをきちんとした」という、人間として当たり前にやるべきところまで下げたにもかかわらず、ここまでで2回しかチップをあげる機会はありませんでした。

こいつには、チップあげたいなー。なんて事を考えていると、

「私の友達が、この町でレストランをやっています。今晩、私の友達とビール飲みませんか?」
などと聞いてきます。

インド人に食事に誘われるということは、かなりの高確率で、食事に睡眠薬が入っており、気がつくと身ぐるみはがされます。

場合によっては、3日間一緒に町をいろいろ案内してもらい、すっかりうち解けてから、家に行ったら家族に暖かく迎えられるものの、急に眠くなり、気がついたら身ぐるみはがれた上に空っぽの家の中で一人放置されていたということもあるそうです。
3日間かけて信頼させた上に、偽の家と家族まで使うという、近頃のオレオレ詐欺並の用意周到さです。

と、わかってはいたものの、ちょっとは信じてみたいと思っていたので、荷物を全部ホテルに預けて、ポケットに100ルピーだけ入れて行ってみるか。。などと考えながら、ブッダガヤーの町まで帰ってきました。

「じゃあ、まず、あなたの土産物屋に連れて行ってください。その後、荷物をホテルに置いて、一休みしてからレストランに行きましょう。」
「わかった。じゃあ、行こう。」

町の中心部に帰ってきて
「こっち、こっち」
と誘われた先は、薄暗い小屋。っていうか、土産物屋なのに、なんでドアに鍵がかかってるんだよ?

中に入ると、怪しい土産物が並んでいます。そして、4人くらいのインド人がぞろぞろと入ってくる。
「ココが、私のお店です。」
「なんで、鍵がかかってるのですか?」
「今日は休みなのですが、特別あけました。さあ、この人が品物の説明します。」

めがねをかけた男が説明をが始めます。
こいつの日本語は、上手いというレベルではない。ネイティブに限りなく近い。
きっと、さっき言っていた、日本に留学をしていた人なのでしょう。
「これは、インドの大変珍しい曼荼羅です。金箔が貼られている大変高級なものです。」

もう、この時点で、インチキ確定。

「で、いくら?」
「400ドルです。」

「なんで、ドルなんだよ?」
「観光客の人は、ドルの方がルピーよりわかりやすいからです。」

ハイ、馬鹿にされてますー。
でも、確かにドルで言われた方が安く感じるんですよね。
400ドルって、約16,000ルピーですから。私の今回のインド旅行の全行程でかかった値段と一緒です。

もう、さっきの気持ちが完全にぶっ飛んで、300ドルの仏像とか、200ドルの象牙の像とかどうでもいい話を軽く聞き流しています。
そんな物を買う気は全然ないので、さりげなく出口に近づき、
「ごめん。そんなにお金ないから無理だわ。」
と、言って外に出ました。

外に出た瞬間、明るい世界を見て、さっきのインド人に対する優しい気持ちを思い出して、気持ちが変わりました。

「うかつにインド人を信じた私は大馬鹿だ。同じ過ちを繰り返さないために、自分に罰を与えなくてはならない。」

店の外から、
「やっぱ買うわ。その20ドルの像の置物」
20ドルは670ルピー。それなりのホテルの一般的な値段です。

「インドを旅行している間は、いつもこの置物を持ち歩こう。
 そして、これを見るたびに、インド人を信じた自分の甘さを思い出そう。」

そう心に決めて、この置物を「ブッダガヤーの涙」と名付けました。
しかし、インドに対する憎しみはあまり沸いていません。

みちぱたで客引きをしているおやぢが、かなり上手に日本語を喋れること

観光客を騙すためにものすごい計画を立て、周到な準備をしていること

日本に留学して、NOVA Level1くらいまで日本語を喋れるようになった人が、観光客だましの片棒を担ぐくらいのことしか出来ないこと

頭が良くて、努力をして、まじめで、能力を持った人でも、カースト制度という社会の制度によって、もっと能力を生かせる仕事、裕福になれる仕事に就くチャンスを閉ざされている、インド社会。

そんな軽い絶望が世間をうっすらと覆う世界に暮らすインド人にちょっと哀れみを感じると同時に、「中国の次はインドだ」という世の中の流れに、疑問符を持っています。
裕福層が住むところでは、また事情が違うのでしょうが。。。

ちなみに、このカースト制度は、インド人70%が信じる宗教、ヒンドゥー教に強く結びついており、法律上は禁止されているのですが、未だに社会に根付いており、なかなかなくなる事はないそうです。

で、ここで、「ブッダガヤーの涙」の写真を載っけたいところなのですが、私、すでになくしました!
反省も憎しみも悲しみも、あっという間に忘れるのは、私の悪いところでもあり、いいところでもありますね。。

 しかたがないので、今回もりぞおさんをだましてくれたインド人の顔をさらしておきます。



 名前は。。。。忘れた。


タージマハール [インド 観光名所]

久々に、ホンモノの観光名所の話。
誰もが行くとこなんで、独自の視線で書くのはムズカシー!
でも、インドで普通にすげーと思ったのはココだけ。あとは、悪い意味ですげーと思った。

記事
http://blog.livedoor.jp/mota2005/archives/50086905.html


インド映画 1 [インド 観光名所]

※アップしたつもりが、ちゃんとアップされてなかったっす。ごめんなさい。。

インド映画。
一昔前、誰かが、ウッチャンナンチャンあたりを使って、無理矢理流行らせようとして、全然流行らなかったアレ。

特徴は、うっとうしいほど歌って、踊り、むやみやたらとゴージャス。

インドでは、年間800本以上の映画を作っており、その数、世界一。
庶民の娯楽の王道として、その地位を不動のものにしているようです。

インド旅行も終盤にさしかかったある日。ちょっと映画でも見てみようかという気になりました。
街を歩けば5分で始まる戦闘に疲れ果てたため、安住出来る場所に行きたかっただけですが。。

場所は、タージマハールがあるアーグラー。
タージのすぐ近くのホテルに泊まっていたのですが、ちょこちょこ歩いてみたところ、映画館らしきモノはなし。
とりあえず、朝食がてら、近所のゲストハウスのレストランのおやぢに聞いてきました。

「映画を見たいんだけど、映画館はどこにあるの?」
「いっぱいあるよ。このアーグラーには100個くらい映画館がある。」
「そんなに!アーグラーって人口どれくらいいるの?」
「100万人くらい。日本には映画館はないのかい?」
「あるけど、そんなにたくさんはない。ところで、映画は何時から始まるの?」
「なんの映画が見たいんだい?」
「おっちゃんのおすすめある?」
「じゃあ、「レインコート」という映画を見るといい。私が一番好きな、名作だ。
ここからタクシーで10分くらいのところの映画館でやってる。ちょっとまってな」

といって、奥に行って、新聞をもってきてくれるおやぢ。
インドにも、いい人はいる。

「んーと、今からだと13:00からのがいいかな。」
「その映画館、タクシーの人にどう説明すればいいの?」
「OK。住所をかいてやるよ。」

とてもいい人だ。
食事代に加えて、気持ちよくチップを払ってあげることができた、貴重な体験です。

が、その紙を運ちゃんに見せて行ってもらうも、運ちゃん迷いまくり。。。
上映時間をオーバーして到着。
「たくさん走ったから、割増料金をくれ。」という運転手を一喝して、映画館へ。


これが、名作「レインコート」

チケット売り場に行ってみるとまあ、あと1時間で開始・・・おっちゃん、上映時間、あんたが教えてくれたのと全然違うよ。。

とりあえず、散歩。んー、住宅街。汚い。

で、上映15分前に戻ってくると、ひとがわらわら。
若いのがいろいろ話しかけてくる。

「あんた、ヒンディー語分かるの?」
「全然。」
「じゃあ、映画分からないじゃん」
「歌と踊りは世界共通だよ」
「んー・・・そうかなあ。。」

そんなことを話しながら、映画、開始。
さあ、歌と踊りとゴージャスの、バカ空間が始まるぜ!

・・・始まらない。。

この映画、めちゃシリアスなんですけど。。
しかも、シーンの8割が、主役の男女2ショットの会話なんですけど。。
それも、ヒンディー語。
たまに、英語が入るのがムカツク。

ストーリー、全然わかんね。
時折回想シーンで、ファイヤーダンス踊るけど、楽しくないし。。
誰も歌わないし。。。
退屈。。。

教訓:インドは何をするにも難易度が高い。


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インド映画 2 [インド 観光名所]

インド最終日。
前回、インド映画「レインコート」に大敗したのにも懲りず、しつこく映画館を探すもりぞおさん。
なぜ、映画にそこまで。。というと、こんなポスターを発見したからです。



ハリーポッターのパチモン。

みたいー!激しくみたいー!

しかし、調査の結果、この映画はまだ公開されていないことが判明。
とはいえ、この日になると、もう、町中を歩き回る気力もなく、とりあえず、宿のそばの映画館に入ってみることにしました。

タイトルは忘れたけど、現代劇。
一人の男が、3人の女性に追っかけられるというストーリーです。

【登場人物紹介】

格好いいが、バカそう。
陽気な加瀬大周。(「新」ではないほう)

女1
スマートだが、幸薄そう。
インド風広末涼子。

女2
顔に特徴はないが、巨乳。
とりあえず、存在意義がよく分からない優香。

女3
特徴なし。たいした役柄でもなし。

【ストーリー】
(なお、言葉が分からないので台詞etcはすべて勘です。そもそも記憶もあやふや。。)
田舎町に住んでいる加瀬と広末。
二人は友達以上恋人未満の関係。二人が楽しそうに野原を駆けめぐっていると、、、

突然、何の前触れもなく、景色がパーティー会場に!

加瀬の衣装がタキシードに!

広末の衣装がイブニングドレスに!

ゴージャスな音楽に合わせて踊り出す、50名を超えるレディースあんどジェントルマン!

これだ!これが、インド映画だ!

このまま15分続く、妄想の舞踏会。
舞踏会終了後、広末が加瀬に告白します。

「わたし、スチュワーデスになるから、都会に行くわ!」

いきなり汽車が彼女を連れ去ります。
展開、早すぎ。。

1晩悩んだ後、追いかけて都会に赴く加瀬。

慣れない都会の駅に右往左往していると、乗降客に押されて、偶然通りかかった優香に抱きつき、押し倒してしまいます。(ベタな展開。。)

謝ろうとした瞬間、通行人の鞄に頭を叩かれ、胸に顔を埋める。
もう一度、謝ろうとした瞬間、通行人の鞄に頭を叩かれ、胸に顔を埋める。
・・・5回続く

やっと解放された優香は、優香は名前も告げずにどっかへいってしまいました。

どういう訳か用意されているマンションにたどり着いた加瀬は、偶然、エレベーターで優香に出会います。

「えー、ここに住んでるのー?(聞いてないよー!)」
ダチョウ倶楽部ですな・・・

この後、あだち充の漫画の主人公のように、なんかよくわからんけど3人の美女にもてまくり、すったもんだのあげく、おおかたの予想に反して、優香とくっついて Happy End

エンディングでは、優香と草原を走り回っていると、またも景色が舞踏会になり、100名を超えるバックダンサーを従えて、3人の女性と踊り狂っておりました。

噂に違わぬインパクト。。さすが、インド。
とはいえ、私が一番驚いたのは、映画の中にあったインドの町並みです。

道には浮浪者もいないし、ビルがあるし、エレベーターあるし、屋台のカセットテープ屋ではない巨大なCDショップあるし、綺麗な公園あるし。。。

ココはどこ。。ゆめの世界?

一口にインドと言ってもとても広いです。
私が歩いてきた道は、中国やパキスタンと戦争を繰り返してきて、難民でごった返す大変貧しい土地です。
南の方の街は、あんなにもきれいなのか。。。

一番安い席なら10円くらいで入れる、庶民の娯楽、映画。
この人たちにとって、この映画の中の街は、舞踏会は、ゆめの世界として映っているのでしょうか?


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